われわれはわが国社会経済の競争力ある健全な発展を願い、その不可欠な要件としてCSRの発展定着を促すため、草の根(準)学術組織としてCSR-EC(シュレック=CSR推進連携機構)を電子空間上に立ち上げた。土台となる理論は価値観形成のコアである哲学倫理学であり、力となるのはステークホルダーからのレポートである。
実生活の現場から絶えず立ち上がる哲学(応用哲学)とは「勝負」の極意のことであり、倫理は「勝負」の作法の事である。
「競争」は生命体のうちからこんこんと湧き出る生命力の発露であり、経済的表現でもある。ゆえに競争力のある社会とは生命力にあふれた豊かな社会のことである。「競争」は独身ではなく、これとペアを組むのは「共感」(アダム・スミス)といわれ「惻隠の情」ともよばれる概念である。「競争」と「共感」とは一つのファミリーを成すものであると思う。
「国」は市民の生活を守るための重要な装置である。地殻変動、ACCの脅威の増大、国際情勢の混乱とテロの脅威、感染症爆発の危険、アングラ勢力の伸張と社会倫理の喪失、原発事故の可能性、経済の「ゆらぎ」などを通じて国の役割は今後大きなものがあるにちがいない。古い国家主義ではない、市民主体の国家観が必要である。競争力と「共感」にあふれた国が求められているのだ。
CSRは、産業の歴史的経過と文明崩壊の危機のなかでうまれた、回避することのできない事業者の責務である。回避すれば、事業者自身が存立のよりどころを失ってしまう。情報・知識・知恵の膨大な集積は、市民に対しかならずしも建設的な精神作用を及ぼすとはかぎらない。だからCSRが要請される時代の経営のかじとりは、難しいのだ。
今日なぜCSRが飽きられようとしているかというと、つかの間の経済的小春日和に油断をさそわれた経営者にも罪はあるが、多くの原因はCSRの専門家なるものの見識が、実は経営の実態を科学的合理性をもって分析するものではなくて「たたみの上の水練」にしかすぎなく、国連やEUの官僚どもとその一派の口真似をしているだけという「化けの皮」がはがれてきたからである。だからたとえば生命保険会社のCSRを問題にする場合、ケースごとにはわずかな金額の保険金不払いは指摘しえても、根本的な問題である「死差益」の是非をとりあげようとはしない。契約時と支払い時の基礎になる死亡率の誤差を保険会社の主要な利益として予定し、計上することは詐欺に等しい。やがて社会通念から言って「死差益」は契約者に返還すべきとなろう。これは旧社会のまやかしを示すほんの一例である。
CSRは枝葉末節に主要なターゲットがあるわけではなく、事業の根本的な善悪を指摘するものでなければならない。それができなければ、CSRは頭を下げていれば通り過ぎる「親父の小言」に終わってしまう。
われら有志はこの困難な課題を、オモテをそらさず克服し、競争力と「共感」がいっぱいの自律的な日本社会を実現しようと思う。そのための「勝負」を仕掛けようと思う。
「勝負」をおそれない経営者と市民に、連絡と連携を呼びかけるとともに、CSR優良企業に自分の優秀さを登録発表し、社会的評価を受ける場を提供したい。(2006/11/01)
三田和美(みたかずとみ)
環境経営学会会長 哲学者 環境専門家 医学研究者
1961年東京大学卒業 社会教育研究所所長、国際思潮編集長を経て海外留学、第一次石油ショックを機に帰国、通商産業省奉職後、東京大学、ハーバード大学、東京都、ニューヨーク市、パリ市、ローマ市、北京市、ラゴス市など世界60カ国の大学、研究所、行政機関、病院で省エネルギー、石油代替燃料、環境保護、衛生管理等の調査研究教育にあたり、各種政策委員会委員を務める。公益法人等関連組織を多数設立、代表者となる。その間東京大学同窓会連合会代表幹事に選任される。最近では埼玉大学客員教授、特殊法人科学技術振興事業団教授級研究員を務めた。
2000年10月経済界、環境省、経済産業省、財務省、日本学術会議関係者の応援を得てNPO法人環境経営学会を設立、環境経営格付機構理事長を経て現在同学会会長に就任中。なお昨年はEUにおいてワールド・サステナビリティ・リーダーにノミネートされた。(参照:「書斎の窓」2006年5月号 有斐閣)
2001年開発した画期的な格付け手法MITA-MODELは内外の大きな反響をよび、同年12月経済産業省と外務省の要請でマニラにおけるアジア生産性本部大会にて発表、以後アメリカ、中国、インドネシア、イラン等でも応用研究がすすめられ、翌年にはEU生産性本部で翻訳出版された。わが国では東京大学で博士論文の課題となるなど、なお各方面で研究と応用が進行中。(参照:ECO-ECO MANAGEMENT FrancoAngeli Milano)