経済のグローバル化と情報化の進展、深刻化する地球環境の悪化などを背景に、企業活動が経済社会に与えるインパクトは過去のどの時代よりも大きくなっている。いまやどのような企業や製品も発想の当初から世界市場を意識しないではいられない昨今であるが、特に世界市場を主な舞台に活躍する企業にとって、20世紀アメリカに典型とされる企業観、企業は株主のためにあり、経営者は所詮その使用人に過ぎないといった経営モデルでは、21世紀を生き残ることはできない。だからと言って陳腐な企業「公器」論は、実は経営者の恣意を覆い隠す「隠れ蓑」だったことが、この半世紀、事実を以って明らかとなっている。前世紀末からの自然界における「地殻変動期」への突入にこだまするかのように日本を含む先進工業国の間で多発しているさまざまなスキャンダルは、それを煽り立てるマスコミの不純な動機は別問題として、単純功利主義の経営モデルが時代遅れであり、反社会的な存在へと転落するしかない事実を物語って余りある。
今日わが国が謳歌している「豊かな社会」は、はじめから存在していたものではない。1945年の「貧しい社会」から出発したものなのだ。そのとき日本人は「食」を求めて闇市にむらがり、アメリカ軍の残飯を煮た「シチュー」で飢えをしのぎ、行き倒れが伏せる泥道を職場に向かった。「シチュー」のなかから時折使用済みのコンドームなどがでてきたりしたが、生きるためには頓着してはいられなかったのだ。その労働の蓄積が今日の「豊かさ」を形作っている。この社会はいつでも今のような姿をしていたわけではなく、人が現在の社会に生きているのはほんの偶然にすぎない。世界的にみても高度工業化社会の人口は全体の5分の1に過ぎず、絶対少数派なのだ。だから体制維持のため、アメリカは膨大な軍備を持たざるを得ない。「豊かな社会」はいつ崩壊するかも知れない不安定なものであり、「先進国」は小林一茶が述べたように「地獄の上で花見」を楽しんでいるようなものなのだ。まさに「無知」そのものであり、このところ日本に出現した若いグリーンメイラーの一群は、自分と世間の「無知」に悪乗りした「豊かな社会」のいたずら者なのであって、模倣者は続々と現れるだろう。しかしそういう民族は文明維持の利害に反するものとして、いつでも切り捨てられる可能性があるのだ。
時の経団連会長が「社会のメルトダウン」の危機に戦慄したのは、ほんの数年前のできごとである。官僚は働かずに血税をむさぼり、警察官は盗みを働き、教師がイジメの先頭に立つ。マスコミはサラ金の宣伝費で潤い、白昼堂々と暴力団の事務所が開設される。このような先進国はほかにはない。一説によればアメリカでは、ジャパンペーパーと称して「日本は財界人や高級官僚がアングラ勢力とつるんでいる国」と評されているとか。こんな国が長持ちするはずがないし、またその値打ちもない。
世界は一面でフラットなものとなり、成長も崩壊も著しく時間を早めている。もし企業が、産業革命以来の自然環境破壊の罪を反省しつつ、なおも自己の存立基盤である自由主義的民主主義社会というプラットホームを維持しようとするならば、より大きく文明の維持に共通の利害関係を持つ多様な立場の人々と責任を分かち合い、規模相当の大きな役割を今すぐはたさなければならない。このような共通の責任を分かち合うものがステークホルダーであり、株主も経営者もその一員であり、サステナビリティとはこのようなプラットホームの維持のことであり、役割の果たし方がCSRなのだ。
ところが日本では早くもCSRは「旬を過ぎた」という声が上がっているという。それは、「もう一つの歴史認識」の欠如と同時に、自分の行動基準を他者の価値観のなかにおく「恥の文化」の伝統によるものであろう。これまでのCSRはカタチの物まねに過ぎたのだ。自分の理念や価値観を発信せず他に追従することをもって十分とするというのは、「知的」な「ただ乗りの思想」である。「自分から世界に向かって世界標準に耐えうるCSRの自己原則をうちだし、広くステークホルダーの協力を求め、率先実行する」という責任を回避するのは、自分の生活基盤を崩壊にまかせる自殺行為であり、良くて物質的な「無賃乗車」なのだ。狭くフラットになった世界の人々や、情報リテラシーの高まった消費者が「ただ乗り」にもかかわらず信頼してくれると期待するのは、あまりにも楽観的過ぎるのではあるまいか。
社会的責任の追及に時効も罪刑法定主義の原則もない。国と社会の要請に応ぜず、その利益に反する行為は、企業としても個人としても、どこまでも追求される可能性がある。「食い逃げ」は許されない仕組みになっているのだ。
企業は自分の存在を維持継続するという意味においても、そのプラットホームである文明社会の維持に率先して協力すること、CSRを実践することが望まれる。CSRは一過性の流行ではない。理念のコアは「自律」ないしは「節度」(decency)といえる。企業は自分自身でCSRとは何かを考え、信念を持って実践しなければならない。そのためにはグローバルな水準に基づきCSRの自己評価をおこなって自分が何者であるかを社会に公表し、自分のCSR目標を社会に約束し、実践し、結果を評価し開示しなければならない。われらはCSR推進のためステークホルダーダイアログの架け橋となるであろう。多くのCSR優良企業と市民とが本サイト(シュレック)とともに考え、連携されることを望む。再び云う。
CSRを一時のバブルに終わらせてはならない。
シュレック原則 |
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環境、健康、安全、人権、反腐敗・反官僚主義、反戦・反テロリズム、新しい公共観・国家観 |
アプローチ |
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リスクマネジメント+レジリエントアプローチ |
(たとえば地球温暖化を防止するのみではなく、温暖化の現在結果から企業や従業員、コミュニティ等を守る事を云う) |
主 体 |
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CSR優良企業+市民・消費者・従業員ほかのステークホルダー |